他人は自分を映す鏡。
「他人は自分を映す鏡」とは、よく言ったものである。
今回は、自分自身の経験を踏まえた、このことに関するお話です。
過去に、仕事もプライベートの生活もうまくいっていなかった時、人を信じられず、疑ってしまう時期があった。
嫌われているのではないか。
見下されているのではないか。
信頼されていないのではないか。
などなど…。
しかしある時、心理学の本で、そのような感情を抱く時の心理を明確に説明する記載を読む機会があった。
非常に印象に残っているのだが、その主旨は下記のとおりであった。
・相手に対して「役に立たないと見捨てられてしまうのではないか」と不安に
なってしまう場合。
・それは自分自身が相手に対して思いやりの気持ちがないからである。
・自分自身の中に、役に立たない相手を見捨てる気持ちがあるから、相手も「役に
立たない自分」を見捨ててしまうのではないかと感じてしまうのである。
これは当時の私には、目の覚めるような考え方であった。
嫌われていないか、責められていないか、などと周囲の目を気にしてしまう時は、一度、自分自身が相手に対して同じような感情を持っていないか、ということを疑ってみる必要があると感じたものであった。
自分自身が相手に対して嫌いな感情があり、その気持ちを隠していないか。
自分自身が相手の弱みを見下した目で見ていないか。
相手のことを信頼していないのは、実は自分自身ではないのか。
そう考えると、当時、人を信頼できなかった自分には相手への思いやりが全くなかったことが分かる。
先日、「ネガティブなことを考えているときは、自分のことばかり考えている時」という発見を書いたが、今考えるとまさにこの状態に陥っていたとも言える。
自分の嫌な感情、目を背けたい感情を、勝手に相手の中に見てしまう。
「投影」と言われる、心理学でもよく使われる用語の一つである。
しかし、これらは全て一人芝居なのである。
実際は、相手が自分に嫌な感情を抱いているわけでもない。
そして、自分自身のその感情は言葉にこそ出さなくても雰囲気で相手に伝わっているもので、こちらがそのような感情を持っていれば、相手の自分に対する付き合い方や言動もそれ相応のものになってしまう。
自分の感情や発言は、必ず同じ形で自分に跳ね返ってくる。
長くなったが、このことで私が改めて感じたのはタイトルの「他人は自分を映す鏡」であるということ。
本来、この言葉は「他人の行い・言動を見て、自分の行い・言動を改めること」を説いている格言なのだが、私はこのような「自分の気持ちを他人に投影してしまう」こともこの格言に当てはまるのではないかと思うのだ。
・相手が自分を見下していると感じるときは、自分自身が相手を見下しているのかもしれない。
・感情を投影した相手に、自分自身の隠れた感情を見つけることが出来る。
と考えると、この格言も当てはまるような気がするからだ。
しかし、この格言を良い意味で活用すれば、これは良い人間関係を作ることに大いにプラスに働くはずである。
自分自身が相手に対して、プラスの感情を持てば相手も同じ感情を持ってくれる。
愛、思いやり、信頼、感謝、親切心…。
良い感情を持たれて、悪い気分がする人はいないだろう。
ケースにもよるが、例えばこんなことだろうか。
自分が相手を信頼すること。
この人は私のことを嫌ってなどなく信頼してくれている、という気持ちを持つこと。
自分が相手の良いところを見るように努めること。
本当は、努めることなどしなくても自然とそのようになれるのが一番なのだろう。
自分が相手の努力や頑張りを認めて見習おうという気持ちを持つこと。
などなど。
こう心がけていくと、嫌われているのではないか、とか、見下されているのではないか、といった感情は恐らく持たなくなるのではないか。
また、日々の行動の中で、相手に対して「挨拶をしっかりする」こともとても大事なことではないかと考えている。
挨拶は、相手のことを認めているからこそ出てくるプラスのストロークの一つだと私は思っているのだが、「おはよう」「こんにちは」「失礼します」「お疲れ様です」「おやすみなさい」と、そういった挨拶をしっかりするだけでも、相手が自分に抱く感情は変わるはずなのだ。
「他人は自分を映す鏡」。
あるいは「自分が変われば相手も変わる」、というのもよく言われることだが、よく言われるからこそ常に意識していたい言葉だと思うのである。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。