仕草に出る本音。
ふとした時の仕草に、その人の本音が現れることがある。
一例を挙げるだけでも様々な仕草がある。
グラスの置き方。
電話の切り方。
キーボードの叩き方。
食事の食べ方。
話を聞く時の腕組みや足組み。
などなど。
上記の一例を見てみると、このような行動でいわゆる「良くない仕草」が現れる時は得てして自分の気持ちに余裕がない時が多い。
この気持ちを言葉では表立って出さずとも、仕草で出てしまうことがある。
見ている人は見ている。
これらの行為は、相手には決して良い印象は与えないものである。
仕草だけではない。顔の表情や立ち居振る舞いも該当する。
私もそうなのだが、ふとした時に本音が顔に出てしまうことがあり反省しきりである。
仕草が綺麗な人はそれだけで素敵である。
見ていても気分が良いもの。
もう少し一例を挙げてみると、
挨拶の仕方。
歩く時・座っている時の姿勢。
箸やフォーク・ナイフの持ち方。
お茶やスープの飲み方。
話すときの口調。
などなど。
地味に仕草の差が出るものとして「席を立つ時の椅子のしまい方」も、人によって性格が現れるものである。
例えば、片手で適当に椅子をしまってしまうような行動は見ていてとても目立つもの。
逆にスマートに、丁寧に椅子をしまえる人ほど、その仕草が綺麗だと感じる。
そのような人は、きっと他のことでも丁寧なはずである。
そのような人の方が、接する相手も気分が良い。
これらの行為は仕草でもあるが「所作」という言葉も適切かもしれない。
日本人は所作に敏感であると言われるが、それはやはり理由があってのこと。
日本の伝統である茶道や華道などで昔から所作が伝えられ続けてきたのにも、やはりきちんとした理由があるはずなのだ。
人間である以上当然に表に感情が出てしまうことはあるが、それでもふとした時の仕草・所作に見直した方が良い点がないかどうか、振り返ってみることは有益である。
日々少し意識するだけでも、相手の印象は大きく変わる。
私も振り返ってみたい。
自戒を込めて。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。