ランニングをしながら感じていること。(2)
梅雨の中休みか、今日は晴れ間がのぞいたので午前中、時間を見てランニング。
往復10kmを走ってきた。
先週はテレワークの日の朝に軽くランニングはしたものの、一定の距離を走るランニングは10日ぶりくらい。
やはり時間が空くと身体はすぐ元に戻ってしまう。
それを嫌でも実感させられた今日のランニングであった。
1km過ぎからノッてくるのはいつものことで、今回もそうであった。
しかし、頭は冴えてくるのに身体がやたらと重い。コンスタントに練習を続けている時と比べて足が軽やかに出ない、と言えば良いのだろうか、調子が明らかに違う。
呼吸もいつもより心なしか苦しい。
う~ん、いつもと違うな…と走りながら冷静になってしまった。
ちょっと無理して走ってるかな…という気もして、少しペースを遅めにしてみることでだいぶすっきりとした気持ちで走ることができた。気持ちに余裕ができたからだろうか。
だが、身体は重くても、空や道端の花、川などを見ながら走るのはやはり心地が良い。
川の緩やかな流れを見ながら走っているとなんだか気持ちも落ち着いてくるし、6月は天気に関わらずむしむしした日が続くが、満開のアジサイを見ているとその不快感を一時でも忘れることができる。
この気持ちを味わえることは、いつ走っても嬉しいことである。
また、今回は初めて距離や時間の計測ができるアプリをインストールして使ってみた。adidasのアプリなのだが、1kmごとに音声で、かかった時間と消費カロリーをアナウンスしてもらえる。
結果はこんな風に出る。以前、撮影したアジサイの写真を入れてみました。
物事は何事も慣れというが、身体もその例に違わず、走っている状態に慣れることで力を発揮するのだろう。そう書くと当たり前のようにも感じるが…。
いずれにしても、スピードを出してスムーズに走るにはやはり定期的な練習が必要ですね。
走り終えてからはいつものように頭もスッキリして良い感じであった。
お昼、帰ってから無性に食べたくなったサッポロ一番の塩らーめん。
卵やハムも入れてみて、失われた塩分も充分に摂取?できました。
塩ラーメンはやはりサッポロ一番に限る!と思うのは私だけでしょうか(笑)。
…直近の目標としては、7月に開催されるナイトマラソン(5km)にエントリーしている。
豊洲の公園を走る大会で、毎月開催しているようなのだが私は夜の大会に参加するのは初めて。とても楽しみにしている。
時期的に恐らく雨の可能性が高いが、マラソン大会はよほどでない限り大抵は雨天決行となる。以前、香川県の小豆島で開催されたハーフマラソンを走ったとき、大雨でずぶ濡れになりながら完走したこともありその辺は覚悟はできている…つもりである。
もちろん、それ以前にコロナやオリンピックの関係で中止、ということもあり得るが…。
とりとめなく書きましたが、早いもので6月ももう20日。
空を見上げると、夏がすぐそこまで迫っているように思えますね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
部下の育成は「ほうれんそうの…?」
仕事をするうえで大事なこととしてよく言われるのが「報連相」。
いわゆる「報告・連絡・相談」の3つである。
私も若いころからよく言われてきたし、今の新入社員も研修や日々の仕事などで報連相の重要性について教わっているはずである。
仕事を行ううえでの基本中の基本で、怠ると状況によっては取り返しのつかない事態を招くことになる。それだけ大事なことだから、どの年代であっても必ず教わることなのであろう。
そして今回、この報連相についてとても興味深いフレーズを知った。
報連相を受けた上司が行うべきこととして心得ておくことで、
「おひたし」
というそうだ。
「おひたし」
(お)怒らない
(ひ)否定しない
(た)助ける
(し)指示を出す
とても分かりやすい上司の心得で、思わず感心してしまった。
ネットで調べてみると以前からこの言葉はあったようなのだが、私は今回、初めて知った。
…この逆をする上司を思い浮かべてみる。
報告・連絡・相談をしてきた部下に対して、
「怒る」
「否定する」
「助けない」
「指示しない」
すなわち、怒って否定してあとは自分で考えて、ということになる。
…これでは部下も報連相をする気などなくしてしまうだろう。
けど、こういう上司に限って自分の過ちに気がつかず報連相を要求するんだろうな…などと思ったりもして。
1つ1つ、簡単にだが見てみると、
怒らない
例えばミスの報告があったときに「叱る」ことはあっても「怒る」のとは違う。頭ごなしに怒ることは、部下を委縮させてしまい報連相から遠ざけてしまう原因になりかねない。
否定しない
例えば相談に対していきなりダメ出しをしてしまうと、部下もやる気をなくしてしまう。まずはその内容を否定せず受け入れて、そのうえで、下の「助ける」ことをしてあげることが大事である。
助ける
困っている部下を放置せず、助けることは上司の義務である。これまでの経験を活かしてアドバイスをしてあげること、フォローしてあげることが必要である。
指示をする
報連相をした部下は上司の指示を求めており、上司はこれに応える=指示を出す義務もある。的確な指示を出すことは、上司としての力量が求められるところであろう。
ちなみにこのシリーズ、別のフレーズがあって、なかなか興味深いのでご紹介したい。
全て、部下、特に新入社員の心得です。
「こまつな」
困ったときの心得。
(こま)困ったら
(つ)使える人に
(な)投げる
「きくな」
つらい時、しんどい時の心得。
(き)気にせず休む
(く)苦しい時は言う
(な)なるべく無理しない
「ちんげんさい」
やってはいけないこと。
(ちん)沈黙する
(げん)限界まで言わない
(さい)最後まで我慢
うまいことを言うな…とこちらも感心した。
この辺りは、上司の立場の人が、部下がこのようなことをしやすい環境(ちんげんさいであればそうならない環境)を作ることが大事なのだろう。
そう考えると、上司として部下の立場に立って心がけること、と置き換えることもできそうだ。
私もこの言葉を心がけるとともに、機会を見て新入社員に教えてあげたいと思った。
お仕事で部下をお持ちの方は、ご参考にしてみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
人との比較をやめるためのヒント。
SNSやYoutubeなどの様々なツールで、誰でも自分の情報を発信できるようになって随分経つ。
そこでは、それぞれがそれぞれなりの人生での経験やノウハウを書き綴ったり紹介したりしている。
どんな人たちか?とプロフィールを見ると、例えば、
「海外30ヵ国制覇!コロナ前は毎年海外に旅行してきました。」
「20代で独立して起業。講演会やセミナーの講師で全国を飛び回ってます。」
「アウトドア派で登山、キャンプ、バイクと、やりたいと思ったことはなんでもやってきました。」
などと、一人一人がいろいろな人生経験を非常に積極的に楽しんでいるように見える。
共通しているのは「一度きりの人生を精一杯楽しむ、精一杯生きる」という考え方であると思っており、とても素晴らしいことである。素直に、というか本気ですごいと思う。
その他にも、「これだ」ということを決めて1つのことに打ち込んでその道を極めている人達はたくさんいるし、街行く人々を見ているとみんなおしゃれで輝いているようにも見える。男女問わずだが、髪型は上手にセットしているし、服装も季節に合わせて上手に着こなしていたりする。
そして、そのようなことを見て、知ってしまうと一方でどうしても出てきてしまうのが「自分との比較」。
それもネガティブな比較で「みんな充実してるなあ。それに比べて自分は何もない…」などという、羨みや嫉妬の感情が出てきてしまうことがある。
なんであんなに上手なんだろう。
なんであんなにいろんなこと経験しているんだろう。
それに比べてなんで自分は…。
と考え出してしまうときりがなくなり、また、考えれば考えるほど自分と比較して落ち込んでしまう。
私もそうで、比較を始めてしまうと人のことが気になってしょうがなくなり、それでますます人と比較して落ち込む、といった悪循環を経験してきたし、今でもそのようになってしまうことがある。
だが、人と自分を比較ばかりして落ち込んでも、良いことは一つもない。
経験上、本当に一つもない。
暗い気持ちになるし、自信もなくなるし、自分が惨めになるし、また、そのことで、普段経験しているはずの楽しいこと、嬉しいことに気がつかなくなってしまう可能性もある。
上で書いた、人生経験を積極的にしている人達の例でも、おしゃれをしている人達の例でも言えることなのだが、その裏には相当な情報収集や行動・研究・努力を重ねていることが実は隠れているはずなのだ。
その辺りのことが、自分と比較すると見えなくなってしまうことが往々にしてあり得る。「自分はダメ」という視点でしか考えられなくなるから、見えなくなってしまうとも言える。
…しかし、そうとは分かっていても、心情的にどうしても人と比較してしまうのは、やはり人間は「感情」を持つものであり、その感情には向上心や嫉妬心なども含まれること、また、人間は常に人と人との関わり合いの中で生きる社会的動物であるから、ということなのであろう。
では、なんとかしてこの「人との比較」をやめられるように、考え方や行動を少しでも変えることは出来ないものなのか。
そう思っていろいろ考えてきた中で、私が気がついて実行している、人との比較をやめるための方法は2つ。
暇な状況を作らないこと。
とかく暇になると余計なことを考えがちである。
自分のやりたいことを見つけてそれに集中すること=余計なことを考えない状況を作ることが大事である。
そのためには「趣味を持つ」ことでも良いのだが、本を読むとか掃除をする、料理をするといったような、日々行っていることをすることでも良い。また、その分、空いた時間にいつも見ていたSNSを見ないようにする、といったような「決断」をすることも有効であろう。
自分の中の「好きなこと」「楽しいこと」の基準を考えてみること。
自分が何に価値を置いているのか、何をしていると楽しいのか、嬉しいのか、ということが自分で分かっていない。だから好きなこと、楽しいことの基準を他人の中に見つけざるを得なくなる。
そうなると自然と人の優れているところが目に入り、比較してしまう状態に陥る可能性が高くなる。
そうではなくて、自分がしていて好きなこと、楽しいことが何なのかを考えてみて、それができれば良し!という感じで考え方も変えていくことが、良い方法ではないかと思うところである。
「暇な状況を作らないこと」とも重複する点があるが、良い意味で、自分のことを中心に考えてみることである。
また、人との比較をやめるための方法としてもう1つ。
私が以前読んで「これはいい!」と心底思った考え方なのだが、心理カウンセラーの石原加受子さんが「もっとシンプルに、楽に生きることをはじめよう!」という著書の中でとても良いことを書かれていた。
人と比較してしまうこととその具体例に触れたうえで、次のように書かれている。
比較することが全部悪いわけではない。
状況を具体的かつ正確に把握するには、比較することも重要な方法だ。
しかし、その比較に、「価値」をくっつけることはない。
「あの人は、ファッションセンスに優れている」
「あの人は、数字に強い」
「あの人は、記憶力が抜群だ」
もちろんそれはすばらしい。けれども、それ以上のものではない。
それで「終わり」である。
そこで終われば、「でも私は」などという言葉は生まれない。
これだけで、あなたは、人と比較してしまう自分から自由になれる。
「あの人は、こんな能力がある」で”終わり”。
訓練すれば、できるはずである。
(出典:石原 加受子著「もっとシンプルに、楽に生きることをはじめよう!」(三笠書房)より引用)
※一部太字にしたのも著書原文のママです。
実にシンプルかつ具体的な「人との比較をやめる方法」であり、ご紹介したく引用させていただいた。
「あの人は、すごい。終わり。」「あの人は、すごい。以上。」
そこで強制的に終わらせてしまうということに「なるほど!」と思ったものであった。
「人は人、自分は自分」
よく聞く言葉であるが、ここまで見てくると人との比較(ネガティブな比較)をやめるには、やはりこの「人は人、自分は自分」という考え方にいかに持っていくことが出来るか、が重要になってくる。
よく聞く言葉で頭では分かっていても、なかなか実行するのが難しいことでもある。
今回はそのためのヒントとして、私が気が付いたこと、また、著書からの引用になるが私が「これはいい!」と思ったことを書かさせていただきました。
ご参考になれば嬉しいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。