スマホを見ない生活。
前回は短い記事だったにも関わらず、スターやブックマークをいただきありがとうございました。
いつもこのブログに来訪してくださること、大変嬉しく思っています。
昨日はひたすら眠って、目が覚めた時もベッドで本を読んだり気分転換で掃除をしたりシャワーを浴びたりと、家にこもっていい感じで充電ができました。
こんな「ステイホーム」の過ごし方もありですね。
今回は昨日やってみたことで一つ。
…昨日、眠って「充電」するにあたってチャレンジしてみたことがある。
それがタイトルの「スマホを見ない生活」。
何か目的を持って見るのなら良いのだが、案外そうでない時間の方が多いのではないかと前々から感じていた。
また、溜まっている疲れや意欲がわかないことの原因は、仕事の忙しさだけでなく一日の中で無意識のうちに見ているスマホも影響しているのではないかとも感じていた。
例えば通勤時間、暇な時や休憩の時、寝る前などなど…。
私だけかもしれないが、スマホをだらだら見た後というのはなんだか充実感がないし、なんとなく冴えない、だるい気分になることが多いのだ。
そこで、昨日はベッドから手をのばしても取れない場所にスマホを置いて、寝る時以外の時間も意識的にスマホを見ないで過ごしてみよう、と思い立った。
結果は、
スマホを見ない生活はやはり気分が違うし、物事にも集中できる。
起きた時は上で書いたとおり読書をしたり、身体を動かすことも兼ねて部屋の掃除をしたりしていたが、読書も掃除も時間をかけて、結構集中してすることができた。
時間ができたらついスマホに手を延ばしてしまう。
これを我慢してみると、いつもより時間を有効に使えたような気がした。
また、スマホを見ないでい続けるとなんとも不思議な感覚で、別世界で過ごしているような気分であった。
「携帯やスマホのない時代はこういう生活が当たり前だったんだな…」
と昔を思い起こした。
いかに普段スマホに依存した生活をしているか、ということがよく分かったものである。
眠った時間が多かったこともあるが、ちょっとだけ新鮮な一日が経験できた。
もちろん、家族なりから連絡が入ることもあるので目覚めた時や鳴ったときは一度確認したり返信はしていたが、それ以上は触らなかった。
ここで触り続けるわけにはいかない。
と、勝手に自分と闘っていました(笑)。
何か物事を始めようとしても気が乗らずついスマホを見てしまい、そのままだらだら…となってしまうことで、案外時間を無駄に使っていることがあるのだろうと思った。
なんでもすぐ調べられて、映画・音楽・ラジオ・ゲーム・買い物・支払い・振込みと、もはや何でもできるようになったスマホはとてもありがたく重宝する存在になっているが、何か別の物事をしたい時、取り掛かりたい時などは一転してその思いを邪魔する存在になってしまうことがある。
だが、スマホが「邪魔する存在」になるのかどうかは使う本人の意思次第、ということもまた言える。
使い方ひとつで毎日をいくらでも無駄に過ごすこともできてしまうし、その反対に、使い方次第で毎日をいくらでも充実させることもできる、とも言えるだろう。
しかし、それでもあえてもう一度繰り返すと、
スマホを見ない生活はやはり気分が違うし、物事にも集中できる。
これは当然のことかもしれないが、実際に実行してみるとより強く感じる。
たまにはスマホを見ない日を意識的に設けて、いつもと違う一日を過ごしてみてはいかがでしょうか。
かなりお勧めです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
充電します。
今週は
・起きて
・仕事して
・帰ってきて
・シャワー浴びて
・寝る
の繰り返しの毎日。
(食事はもちろんしてます)
ブログを一度書いた以外は、目立ったことは何一つしていない。
何かをしようとする意欲もなんだか湧かなくなっているので、身体だけでなく気持ちも疲れているのかもしれない。
これは私の中では珍しい、というかかなり久しぶりのことだ。
よって、明日からの休日は「充電」と題してひたすら寝ます!
ごろごろするとかいうレベルではなく本気で寝ようかと。
ランニングもお休み。
また元気が出たら、ブログも再開します。
ごめんなさい。今日は以上で。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
思い出に浸るのもたまには悪くない。
「過去を振り返るな、前を向いていけ。」
一言一句同じとは限らないが、よく言われる言葉である。
確かに、過去の過ぎ去った出来事に固執せず今を生きること、日々新しいことを経験することや前向きな気持ちを持って生きることが人生の充実に繋がっていくことは間違いない。
だが、この前向きな気持ちを持って日々を過ごすためには、特にネガティブな感情を持ってしまうことが多い時など、たまには「過去の良かったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと」を思い出し、良い気分に浸る時間を持つこともプラスになるのではないだろうか。
私も過去の思い出に浸ることはあり、このブログでも2つほど記事を書いたことがある。
私の感覚だが、やはり人は思い出話が好きである。
仲間うちや家族で話をしている時、思い出話になるとやたらと盛り上がった経験をお持ちの方も多いのではないだろうか。
例えば、私の世代なら昔のファミコンソフトの話や、90年代のJ-POPの話などになるとほぼ例外なく盛り上がっていたかと記憶している。
それは共通の話題だから、というのも理由としてはあるが、やはり思い出に浸ること、思い出話が純粋に楽しいからであると言えるだろう。
そして仲間うち、家族だけでなく、個人で思い出に浸ってこのような楽しい思い、嬉しかった思いなどを味わうこともまた、気分を変えることができるという点で有効ではないかと思うのだ。
昔の懐かしい写真や映像を見て過去の人生を思い起こし、思い出を語り合うことで気持ちの安定や脳の活性化を促す「回想法」という心理療法がある。
アメリカの精神科医であったロバート・バトラー氏が1960年代に提唱したもので、高齢者の認知症の進行予防、うつ状態の改善につながる可能性がある、非薬物療法の一つとして行われているもの。
過去の記憶を思い返すことで脳への刺激を与えることが認知症の進行を抑えたり、うつ状態の改善につながる効果が期待されている。
私はこの回想法を最近知ったのだが、また、この回想法は個人で思い出すというよりは思い出を「語り合う」ことなのだが、脳の活性化や元気な気持ちを持つ、という点で考えると、過去の記憶を思い返すことが有効なことは、このような心理療法からも間違いのないことだと言えるのではないだろうか。
思い出に浸ることは「過去を振り返ること」であり、とかく後ろ向きに捉えられがちであるが、決して過去を振り返ることを否定せず、むしろ肯定することで存分に思い出に浸り、それがまた明日からの活力になれば、それはとても良いことではないかと思われる。
ぎすぎすした気分になっていたら、思い出に浸ることで気が付いたらそんな気分・感情もなくなっているのではないだろうか。
しかし、何事もほどほどが大事で、「日々元気に過ごすための方法」としての思い出に浸ることだと思うので、過去を振り返り続けるだけでは自分に何の変化ももたらさないし、浸りすぎるのもそれはそれで良いとは言えないであろう。
なので、浸りすぎない範囲で、昔のアルバムや映像などを見て、たまに過去の思い出に浸ってみてはいかがでしょうか。
Youtubeではこのように過去のことを思い起こさせてくれるような映像・音楽もたくさんアップされていますね。ちょっとだけ、タイムトラベルできるかもしれません。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。