祖父母の家に泊まりに行った思い出話。
5月も半ば。
気温も高くなり、かなり夏の陽気が近づいてきていることを感じる。
この時期になると、子供のころ、祖父母の家に泊まりに行っていたことを思い出す。
小学校2~3年生のとき。時代は昭和が終わる直前のころ。
あの当時はまだ週休2日制ではなく、土曜日、午前中に学校が終わりお昼を食べてから、電車で30分ほどの場所に住んでいた父方の祖父母の家に、両親と一緒に泊まりで遊びに行っていた。
1~2ヶ月に1回くらいは行っていただろうか。
私は、泊まりに行くことが決まるたびに、祖父母に会えることの嬉しさに加えて小旅行に行けるようなワクワク気分にもなり、このお泊まりがとても楽しみだった。
祖父も祖母も、私たちが遊びに来るのをとても喜んで迎えてくれていた。
到着して少し落ち着いてから、まだほのかに暑さを感じる夕方前、祖母に手を引かれて、歩いて近所のスーパーへ夕食の買い物に行った。
大正生まれの祖母は割烹着を着て買い物かごを持ち、お財布のことをよく「がまぐち」と呼んでいた。
令和の今ではすっかり見かけなくなった光景、聞かなくなった言葉である。
あの時の、日が暮れ始めるころの街並みと、ほのかに暑かった外の空気が妙に印象に残っており、それがちょうど今頃の時期の気候と重なることから、この時期になると当時のことを思い出すのだ。
晩ごはんはとんかつ、エビフライ、寿司など、私の好きだった食べ物がそのつど、献立が変わって並べられた。
ずいぶん豪華な食事であったが、私の好きな食べものを知っていて、いろいろと考えていてくれたのだろうと思う。
ご飯が終わると、夜、祖父母にねだってテレビを独占していた。
祖父も祖母も、あまりテレビは好きでなかったのだがこの時は一緒に見てくれていた。
あのころ楽しみにしていた、夜7~8時台の番組(TBS系列)は、
「クイズダービー」
この順番だったはず。
私と同年代以上の方にとっては、懐かしいラインナップかもしれない。
寝るときは、祖母が使っていたベッドに寝かせてくれた。祖母はその時だけ、ふとんを使っていたようだ。
ベッドには、湿布のすーっとするにおいがしたことをなぜかよく覚えている。
翌日の朝ごはん。
祖父も祖母も、味噌汁のことを「御御御付(おみおつけ)」と呼んでいた。
これも今ではすっかり聞かなくなった言葉の一つである。
くたくたになるまで煮込んだ大根の御御御付が、とても美味しかった。
帰るのはだいたいお昼前だったのだが、帰る時は寂しさに加えて子どもながらに、またいつもの生活に戻るのか…などと感じていたことを思い出す。
…祖母が亡くなって20年以上が経ち、祖父も8年前、97歳で亡くなった。大往生であった。
祖母が亡くなってからも祖父が暮らす家にはよく遊びに行っていたが、行ってすぐ「お~、よく来たな~。」と言ってくれた祖父からその次にいつも言われたのは、まず祖母の仏壇に拝みなさい、ということであった。
「まずばあちゃんに拝んでおけよ。ばあちゃんはな、お前のこと一番かわいがってたんだからな。」
自由奔放な性格の祖父であったが、この言葉を言う時の祖父の表情は真剣そのものであった。
私には従兄弟が6人いるのだが、その中で私は一番年下である。
祖父母が年をとってからの孫だったこともあったのだろうか、私は確かに祖母にかわいがられたと思う。思い出もいろいろとあるし、赤ん坊のころも含めて小さかったころの、親戚一同で写る写真を見ていると、祖母に抱っこされて写っているものがかなりあるのだ。
私も楽しみであったが、祖父も祖母も、私が遊びに来るのをいつも楽しみにしていてくれていたのだろうと思うし、今でもそれをとても嬉しく感じている。
いつもこの時期になると、あのころの思い出が蘇って、懐かしい気持ちになるのだ。
…今日は思い出話でした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。